ひとつ・・・・立ち飲みの火が消えたのは残念。
栄町「べんり屋」の後移動、久茂地という認識でしたが住所は牧志なんですね、営業ラストの前日に伺いました「西乃屋」です。閉店を知ったお客さんで盛況でした、店の前には特設のテーブルまで。超多忙な感じでゆっくりと店主の田中氏と話す時間はなかったのですが、今までお世話になりました。
この日、串と白レバーを最後に頂きました。暗さと酔いでちょっとブレてます。
立ち飲み、そしてキンミヤハイボール、いずれも現在の那覇では定着しましたが、その魁となったお店、その開拓者スピリットは多くの沖縄の飲食関係者に影響を与えたように思います。
移転先の広島でもその心意気で頑張って欲しいと思います。オープンしたら行きます!