薩摩観光 薩摩と琉球

沖縄が1600年頭に薩摩藩により「琉球征伐」或いは「琉球侵攻」を受け
薩摩藩の実効支配に組み込まれていったのは有名な歴史ですが
今回の旅行でも、琉球と薩摩、あるいは鹿児島と沖縄との関係を
頭の片隅に置きながら観光してきました。

そもそも、今回の観光の目標、知覧の特攻記念館
ここからの特攻作戦は沖縄戦へ向けてのものであり
最初から沖縄との関係はあったのですが・・・

なんと、鹿児島にも石敢當が・・・・ここの石敢當は凹んでいます
知覧の武家屋敷で発見、沖縄みたいに出っ張った感じはなく地味な感じですが

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そして知覧では、沖縄のヒンプン風の衝立がある家も

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島津家の別邸、仙巌園にある望嶽楼は、19代光久のときに
琉球国王から献上されたと伝わる 中国風のあずまや。
内部の壁には王義之の書を写したといわれる額がかけられています。
この建物は、歴代の藩主が琉球の使者と面談するときなどに使われたという

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藩財政が逼迫するも、調所広郷がチャラにし更に国力の増強、
そして、その後の大砲や製鉄技術
こういった明治維新の原動力としての資金も
琉球との貿易によるものであり・・・

各藩は独自に貿易を行ってはならぬというのが幕府の鎖国令。
竹島を通じて韓国と密貿易をしていた石見浜田藩松井松平家は改易になっています。
薩摩藩はなぜ?というのは、中国との関係を尊重して、琉球を間において、便宜上というか、
暗黙の了解の上に薩摩藩に交易を黙認していたというのが「オトナの事情」w
調所広郷時代にもこの貿易額が破格であるなどで、反対派が老中に密告したりと
何度か問題になっているようですが、幕末まで何となくこの貿易は有耶無耶になってます。
薩摩の場合は、対馬藩、松前藩と同じく辺境を制圧した論功行賞の意味もあったのですが
当然、薩摩藩から幕府や幕閣に対しての上納金もあったのでしょう

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そして、ゴッパチの国道58号線の起点も鹿児島ですw
海中部分も含めれば日本で一番長い国道ということになります
(これで起点と終点へ行ったことになる、この辺はまた今度書きますw)

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そして天文館には、沖縄料理店
ここにも、ヤギ汁があるようですww

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