訪問は数年ぶりぐらいなのですが宮古島の西里地区から
レンタルバイクで30分ほどで宮古島北部島尻地区へ。
ここ島尻地区はパーントゥなる泥を塗った、神のお使いっぽいのが
住民に泥を塗りたくって、塗られると無病息災という奇祭です。
これが、その「ゆるキャラ」ならぬ「塗るキャラ」ww(案内図より)
悪石島の「ボゼ」更には「なまはげ」に近いものもあります。
立派な会館も建ってます、近くの共同売店ではキャラグッズも売ってますw
大神島への船は島尻漁港から出ます、
港への行き先案内が小さいw
そこから片道15分程で到着、往復で670円。
船便は3~4往復/日ぐらいですから
スケジュールは前もって立ててから
行かれることをお勧めします。
この島は島全体が御嶽であり
神の宿る島として畏敬の島の
イメージもあって、かつては宿泊禁止、
食事をする場所もなかったのですが
今回訪問して、食堂、民宿ができていてビックリ。
その「おぷゆう食堂」さんにて
「カーキたこ丼」800円を頂きました。
「カーキ」とは燻したという意味らしいです
眼前には港が見えて長閑な感じ、
時計を見ないと時間が止まってるよう。
島の奥、裏側は御嶽になっていて立入禁止。
遠見台に登って降りて、島の右側往復、左側往復と
この3ルートしか観光はしようがないのですが。
遠見台からの景色はキレイです。
外周道路は、ノッチ化による奇岩がいたるところに。
この車、実際に港から荷物運んでました、ワイルドです。
島から戻って「宮古島総合博物館」を見学。
琉球王府からの圧政で、王府の役人に対しての反発や
不正を行う代官の糾弾など、結構知られざる島の歴史を学べます。
ここには、フィギュアのパーントゥが・・・
館内撮禁だったようで、すいません。
島尻に行く前、午前中には南の「久松五勇士」の記念碑を見学。
バルチック艦隊を見つけたことを5人の漁師が、当時宮古島に
電信設備がなかったので手漕ぎで石垣まで伝えに行って
石垣からは電信で軍部に艦隊の位置を知らせた・・・という逸話に基づく碑。
そのために、サバニ船をモチーフにした碑になっています。
この話にはオチがあって、付近を索敵中の「信濃丸」という船からの打電のほうが
早かったというのですが、戦時中は、この「久松五勇士」はお国のために
危険を冒して頑張ったとして英雄視されたということです。
実際は、この「信濃丸」という船の幸運のほうが語られるべきとは思うのですが。
この船は、日露戦争、太平洋戦争を生き抜いた船、サケ・マス工船や
北洋漁業の母船としても使われ戦後は復員船などでも
活躍した船です。方や「丸」の付かない「信濃」が実戦配備以前に
整備のために移動中に、あっけなく米国潜水艦に撃沈されたことと
比べると物凄くラッキーな船でありました。