飲食店のホスピタリティ

最近、何軒か行って思ったこと。美味いもの作ってりゃ良い、は通用しない。

 

中学生の頃、両親と奈良の古墳巡りをしたことがありまして、その頃はレンタカーも整備されておらず近鉄とバス、そして主に古墳散策は徒歩。歩き回ってランチタイムに店を探そうにも周囲は見渡す限り丘陵地帯、ランチタイムも終わろうかという時にようやく昼営業のお好み焼き屋を見つけ入った。そこの焼きそばがもの凄く美味しく感じたのを今でも覚えています。おそらく夜に、それもその店が繁華街にあったら普通の味であったろうし、さして感動はしなかったろうに。

人間の味覚の印象なんてこんなもの。同じ人間でも空腹時やその前の食事に何を食べたか、更には体調によって美味い、不味いの評価は異なるもの。まして人が異なれば一層のこと。故に味の点に関しては、鰻重で鰻が乗っていないとか明らかに目に見える点しか言及はしない。しかしながら接客は別。明らかに不愉快にさせる行為、それも誰の目にも明らかなものは批判されて当然でしょう。

「くまぽんさん、嫌われちゃったね!あの店は客を選ぶのよ。私はフツーに入れますよ!」なんてVIPを気取る方も居ますが、そんな店は私だけでなく多くのお客も同じような悪い印象を持っているもの。現代社会、調べればネットやらの評判ですぐにわかります。「悪事千里を走る」と言いますが、今は瞬間的に地球の裏側まで伝わりますから。

人間の三大欲求、食欲、性欲、睡眠欲と言いますが、喧嘩してる相手とはその気にはならないし、寝るときも周囲がうるさかったら寝付けない。それぞれの欲をただ満たすなら動物と同じ、いかに快適な環境に於いてその欲望を満たすか、それこそが人間たる所以とも思うのです。睡眠欲で言えば眠る前にアロマを炊いたり寝具に凝ったり。性欲に関しての比喩は此処では書きませんが(笑)食欲に関しても同じ、食欲と言う分野では料理こそがその人間らしさを象徴するものかと思います。そしてその料理を快適な雰囲気で楽しめる雰囲気を自ら破壊する店。それは人間としての食を楽しむ行為を踏みにじるものだとも私は思います、ちょっと大げさですがw

良く旨い料理だけ作ってれば客が来る、って言うシェフとか大将が居ますけど。そういう店が巧く回っているのは優秀なホールスタッフが居てこそ。そういう方でシェフとか大将お一人で営業している店は、閉店、或いは移転を余儀なくされる店も確かに多いようです。コミュ障だか対人恐怖症だとか関係ないです、そういう店は旨い料理に自信があればホールスタッフ雇う分ぐらい十分ペイします。いい製品作っても宣伝が下手なら売れないのと同じ。もっとも宣伝だけでもそのうちに飽きられますがw退店時にホールスタッフの奥で厨房から軽く会釈、コレでお客は十分過ぎるホスピタリティを得るもの。でも厨房からジロッと客を睨んでるような店は二度と行きませんね。

最後に昔三軒茶屋にあった老舗の寿司屋。大将は「アンタ、それじゃ醤油入れ過ぎだよ、見合いしたことねぇだろ?」(どうして醤油と見合いが結びつくのかは不明w)だの注文の順番やらに煩い。何事にも、いちいち煩いのです。入ってきた客までが「大将、お願いします!」って言いながら暖簾をくぐる、まさにグルメマゾの店(笑)でも会計時には朗らかな感じの奥さんが「先程はウチのがいろいろと勝手を申して誠に申し訳ありませんでした。お気を悪くなさらないで、またいらしてくださいね」と満面の笑み。なるほどドSで責めてドMで〆。こういう劇場型の店なら一考の余地はあるのですがね(笑)

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