沖縄難解地名を読む・・・「保栄茂」が少し理解できた!

アイヌ語が由来の北海道ほどではないですが沖縄も難解地名がたくさん。

沖縄のことばでは、沖縄のことを「ウチナー」と言いますが、これは琉球方言の母音が「あ・い・う・え・お」ではなく、「あ・い・う・い・う」というから。「お」⇒「う」となり「き」⇒「ち」に転じ+「なわ」⇒「なぁ」というわけ。そしてこの「沖縄」の語源自体はいろいろ調べると面白い。連なる島々を模して「沖に張った縄のよう」だとかの説もありますが、私は「沖の方の」「なば(魚のいる場所)」「おきなば」か転じた説が有力なような気がします。「那覇」の語源もこの「なば」だと言いますからね。そう考えると「沖の魚場」県の「魚場」市になるけど(笑)

ところで、沖縄最難解地名でも知られた「保栄茂」=「びん」(Google日本語変換では一発変換できるのがスゴいw)この読み方は飲み屋で地元の方々に聞くと「ほえも」⇒「ぼえも」⇒「ぶえむ」⇒「ぶえん」⇒「びん」って結構無理がある説明だったりします(笑)ところが以前、スッキリわかりやすい解説が日経新聞(ログイン必要、リンク切れていましたら失礼)にありました。

ブレブレ画像は2013年8月に車中で写した料金案内。

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要約すれば、沖縄の言葉では二重母音の「oe」や「oi」が「i」に変わることが多いらしい。「保栄茂」も元々「ぼえも(boemo)」から転じたようでこの場合「保栄」と「茂」すなわち「boe」と「mo」で分けて見てみると・・・まず「oe」」が「i」の変換法則に従えば「保栄」に当たる「boe」が「bi」に。その次の音節「茂」=「mo」は「n(ん)」になる。これは「あれもこれも」が「ありんくりん」になるように「も」が「ん」に変わるのと同じだそうです。つまり「保栄(ぼえ)」⇒「び」+「茂(も)」⇒「ん」というわけ。この節は眼から鱗、今までの飲み屋での先人のお話を一掃するわかりやすさw

「え」は「い」になると説明しましたが、もう一つ沖縄難解地名「勢理客(じっちゃく)」の場合。その法則で母音の「e」→「i」の倣えば「勢」は「ぜ」から「じ」と発音され、まずは「ぜりきゃく」から「じりきゃく」になる。子音に関して「おきなわ」⇒「うちなー」流に「ki」→「chi」ということで更に「きゃく」の部分が「ちゃく」に転じて「じりちゃく」更に詰まって結局「じっちゃく」になったということか?「せりきゃく」そのままの沖縄方言読みである「しりちゃく」から濁音化した説もありますが、この説だと「しっちゃく」で落ち着かずになぜ途中で「じっちゃく」と濁音になったのかはチョット不思議に思いますね。

しかしながら、同じ沖縄でも「じっちゃく」と読まない「勢理客」もあるんですね。

伊是名島では「せりきゃく」

郵便番号検索でも「せりきゃく」

今帰仁村にも「せりきゃく」

こちらも郵便番号検索でも「せりきゃく」

考えてみるに、この二箇所は北部の地名。北部には古来より内地からの移住者が多かった(今帰仁では沖縄では履かない足袋の小鉤(こはぜ)=留め金が出土したり、嵐山なんていう沖縄らしくない地名もありますし)と聞きます。と言う具合に特に京文化の影響が大きかったようで、例えば南部の地名「東風平」の「東風」は菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」で有名ですよね。南部にも京文化の名残があるぐらいですから、北部で「せりきゃく」と内地読みそのままで読むということはこの京文化をはじめとした内地の文化の流入、という説を裏付けるものなんでしょうかね?で、人名の場合「勢理客」さんは「せりきゃく」さん「じっちゃく」さん、両方の読みがあるようです。

そう言えば、難解地名ではないですが南部の糸満の南、真栄里方面、琉球バス85系統のバス停で「クール」という珍しいカタカナだけのバス停があります。コレは別に「ゲンキクール」の工場があるわけでもなく、此処は元々は「こうる」と呼ばれていたそうな。「うる」とは琉球の言葉で砂とか砂利という意。因みにうるま市の「うるま」は「うる」=「荒い砂(サンゴの欠片)」+「しま」が転じて「うるま」という説もあります。そして、このバス停の場合は小さい砂地で「小うる」であったとか。ところがこのすぐ近くに「バクナー中将慰霊碑」があります。バクナー中将といえば第二次世界大戦中の前線での戦死者としては最上位ランクの方。そのために慰霊に訪れる米兵の「こうる」バス停利用者が多くなり、いつの間にかアメリカ流の発音「クール」とカタカナ名になったとか聞いたことがあります、この真偽の程はわかりませんけど(笑)